牛戦車

この牛戦車には夢がある!

2023年5月29日(田澤)

俺の家族はいま病気をしていていつからっていうとだいぶ前からで、でそれを助けながら子供と暮らし表現活動を行えているのは他でもない家族に協力してもらっているからなんだけどこういう暮らしをずっと続けて思うのは辛いとか苦しいということではなくまず俺は絶対にこれだけはやめられないということ。そして俺はあきれるくらいにそのことばかり考えている。俺のことを考えている。こんなときにも。誰か助けてくれって思った次の瞬間には何か新しいアイデアに夢中になっている。
どうしてもやめようとは思えない。そんな選択肢浮かべてる風で実のところ微塵も浮かんじゃいない。みんなに協力してもらいながらこの先も続けていきたいと思っている。これは贅沢か。表現活動は贅沢か。子供は寂しい思いをしているだろうか。家族は苦しいだろうか。俺はそのとき楽しいよな。どんなことよりも楽しいよ。バカなんじゃないの。ほほにキスしてくれ。バチーン!
少し前には不要不急とかいう言葉もあったか。俺には必要も必急もいいところだったけどここでひとつ言えるのはこれ必要必急どっちも完全に俺の中の話でしかないってことで笑えるくらいに誰にも関係ない。誰にも要求されていなかったし誰にも急かされていなかった。で誰にも関係なくあるんだから何があってもずっとあって今。俺は必要として急いでいる。自分の期を逃さないために。ていうか俺がそっちに支配されているって言ってもいいかもしれない。贅沢に支配されているって言ってもいいかもしれない。そのためにみんなに協力してもらっている。俺の贅沢のために。興奮切らしたくなくて走って乗り込んだ「車」は一体誰が誰のために用意した「車」なんだ?税金は誰が払っている?燃料は?曲がる機構とかあるのか?操縦できるものなのか?どこに向かっているんだこの「車」は?この「車」はなんなんだ?「車」?生き物?どうしたの?子供に聞くみたいに聞くな。大人はそんなこといちいち言わないよ。俺は子供だろ。コンビニの食玩コーナーにずっといてずっと見ている子供。親にとってその時間はどんな時間だった?仕事と仕事と子育ての間の一瞬か?そんなこと俺は知りもしない。煌めきにドキドキしていた。親は笑っていた。怒っていた。ピロリッピロリッピロリ!スタンディンバーイ。変身!お前が悪い訳なんてひとつもないよくそがき。
いつか脳は停止して体は硬直して口なんかきけなくなる。なにもできなくなっていく。表現活動ができること、変身できること、なにかできるってことは贅沢か?贅沢は、その「車」は?敵?味方?酔狂人?違う。
俺だ。俺自身だ。その「車」は敵や味方や酔狂人なんかじゃなくて俺にとっての世界そのもので希望そのものだ。「贅沢」なんて誰かがつけた名前じゃなくて誰も知らない名前の俺の中の俺だ。誰も用意なんかしちゃいないしましてや見たこともない。俺は俺の世界を希望を存在させるために誰かに何かを払わない。家族を愛すること子供を愛することと同じように。そうだ。同じなんだ。俺の世界は俺の希望が全てだ。それが俺の全てだ。希望を絶やさないことは俺にとって当然のことだってわかる。どんなときもやりたくてしょうがなくてやってきた。絶えないのが希望だったよ。どうしようもない。
家族、子供にもいまは本当にたくさんのことに協力してもらっているし、きっとこれからもそう。だからいつかみんなが一緒に楽しんでくれたらいい。ライブ?カルテル?まだ見えていないものもたくさんある。誰かの為なんかじゃなくてこれが俺の本当の希望。いつか知ってもらえるだろうか。