牛戦車

この牛戦車には夢がある!

空の広さ(ヤッチボーイ)

 

仕事をしていると時間があっという間に過ぎていってしまう。最近何をした?と聞かれても「仕事をしています。」としか答えられない。

休日を共に過ごす人がいない。どこかに一緒に遊びに行く人がいない。俺の人生はもっと豊かなものになっているはずだったのになあ。

大人になってから出会う人は、それは本当にもう自分の興味の外にある人間ばかりで、関わっていきたいという気すら起きない。

その原因は、俺の人間性が屈曲して形成されつつあること。一人で過ごすのは好きだから、そんなに悲しくはないんだけど、でも時々この地に友達も恋人もいないことが、かなり寂しい。

今俺は奈良県に住んでいるが、正直何故今ここに住んでいるのかが自分でもわからない。今すぐにでも仕事を辞めてここから離れたい。それは逃げではなく、自分の人生のために。でも今はお金がないから、すぐには動けない。社会人であるならば自分のケツは自分で拭かなければならない。

最低限のお金が貯まったら旅に出る。そして札幌に帰る。ここには長くはいられない。

 

 

南米にパタゴニアという広大な岩石砂漠がある。俺はずっとそこに憧れている。

そこに行って、寝っ転がって一日中空を見上げてみたい。今だって特に何もしない休みの一日があるんだから、ずっと空を見る、そんな一日があったっていい。

パタゴニアでは剥き出しの岩盤の上に立つこともあるし、それが長い年月をかけて風化し、剥がれ落ちてできた無数の岩や石の上に立つこともあるだろう。

それらは地球の素肌であり角質であって、それに触れるという行為は、自分にとってはとても意味のあることだ。全てを規定する根本に立ち返ることができる。

そして、パタゴニアの岩石砂漠は果てしなく続いている。地平線は弓形になっている。それは今自分が丸い星の上に立っていることの証拠である。

 

街の中で生きていると、自分が地球という大きくて丸い星の上に立っているということを忘れてしまう。

今すぐには南米まではいけないにしても(今予定している旅はヨーロッパへの旅。パタゴニアに行くのはまだまだ時間がかかりそう)、毎日空が大きく広がっていることは確認していたい。今の生活のルートでは常に一部分しか空を見ることができない。

空の広さは大地の広さである。空が遠くまで広がっているということは、その下には大地が広がっている。それは星の広がりを感じさせる。

四角くて高い建物と、四角くて高い建物と、直線的な道路で囲まれた四角い空間からは、四角くて小さな空しか見えない。常に何かに囲まれている。閉塞的である。世界が狭い。

なんで地球はこんなに広く、まだ見た事もないような場所が途方もなく広がっているのに、こんな四角い空間に閉じ込められなきゃいけないんだ。

人生をかけて旅をしたい。この世界でフルに生きたい。今はその準備期間なんだ。辛い辛い準備期間だよ。ある程度お金を貯めなきゃいけないんだ。それがルールなんだよ俺の所属する社会の。