おじいちゃん(ヤッチボーイ)
おじいちゃんの腕時計をつけている。春にさっぽろに帰った時にもらったもの。
全然高い腕時計とかじゃなくて、確か値段を調べたら3000円とかだったと思う。
もらった時はベルトがボロボロで、でもそのまま着けていたんだけど、この前針が止まったので時計屋で電池を交換した。
その時ベルトも新しくしてもらった。修理代、多分本体の価格よりも高かったなあ。
おじいちゃんは寡黙だ。何かを話し始める時はいつも痰が絡んでいる。
北海道の女満別というところで生まれたんだったと思う。おじいちゃんの父親が福島から北海道に移住してきたんだっけな。
おじいちゃんはその当時の若者にしては珍しくバスケに打ち込んでいたらしい。
別にうまくはなかったけど、誰よりも高くジャンプしていたらしい。
おばあちゃんはよくその話をする。そのときは毎回熱を込めて「ビョーーーン」と言う。
「ビョーーーーーーーンって跳んでたらしいんだよぉ!!」と毎回その跳躍の様を伝えようとする。「らしい」って。実際に見たわけではないみたいだ。
勉強もよくできて、高校生の頃、アメリカに留学に行かないかっていう話があったという。
おじいちゃんはその時に行けなかったことを今でも後悔している。
農家で貧しい家を残しては留学には行けなかったんだって。
やがておばあちゃんと出会い結婚し、子どもが2人か3人生まれたところで(どのタイミングだったか忘れてしまった)、石狩平野中央やや北寄りの一帯、その時はまだ一面に広がる未開拓の泥炭地だったところ、に移住した。
なんでも当時、道はその一帯の農村化を進めていたところで、移住し開拓に協力してくれる人には助成金か何かをあげていたらしい。
おじいちゃんとしてはかなりの決心だったんだろう。
その場所は今では新篠津(しんしのつ)村と呼ばれている。
助成金を目的にその地にやってきた人の中には農業を知らない人も結構いたらしく、もともと農家だったおじいちゃんは指揮を振るって水路を掘ったり畑を整備したりしたんだって。
新篠津村開拓の石碑にはおじいちゃんの名前が刻まれている。
大きい川のそば、誰もいないだだっ広い草原にその石碑が立っていて、おじいちゃんおばあちゃんと見に行ったことがある。
夏で、その日は風が強くて涼しくて、草原を歩いていくおじいちゃんおばあちゃんのくたびれたジャケットが強く風になびいていた。そういう光景は覚えているけど、肝心のおじいちゃんの名前は、本当にあったっけかな。
子どもが3人生まれたけど誰も農業を継ぐことはなく、俺が10歳くらいの時におじいちゃんは離農してしまった。
それで新篠津からさっぽろの我が家にやってきて、二世帯住宅になった(我が家がある土地はそのずっと前からおじいちゃんが買っていた土地らしい)。
やってくるなりうちの庭だったスペース(もしくは何にも使われていなかったかもしれない)を全て畑に変えてしまった。
その小さな畑で、おじいちゃんおばあちゃんは、農業的生活習慣が体に染み付いて離れないかのように、毎日せっせと畑の世話をしている。
ブルーベリー、さくらんぼ、しそ、きゅうり、とうもろこし、トマト、なすび、枝豆、じゃがいも、玉ねぎなどなど夏には毎日何かしらが食卓に出る。
近所の人に野菜をあげてはお返しをもらっている。
実家にいた頃、2階の出窓から下を見下ろすと、大体いつも畑で何かしているおじいちゃんおばあちゃんの姿が見えた。
おじいちゃんは心臓が弱ってきてなかなかあまり運動ができなくなっているらしい。
一緒にアメリカに行けたらいいなあと最近思う。