牛戦車

この牛戦車には夢がある!

納税板(成)

続けざまに風邪に病んでもやはり顔色がこれまで以上に悪くなってしまうことはなかった。不健康は当たり前に良いものじゃない。公に言ってしまって済むものでも無責任に存在してることを許すことも不健康のすべてを我々は受け入れて然るべきでない。夜中に熱で目が覚めたときに部屋の全部が横に伸びて見えた。きっとどこかとどこかの狭間で目を覚ましてしまって、けれど結局戻ってこれたから心配はしてない。不健康なりに元気な部分は持っているもんだ。
怪我や風邪の時は物事の考え方が随分変わる。意識や思考はより精神的に曖昧な物言いを好んで、肉体的苦痛から逃れよう逃れようと必死になる。いかなる些細な病状であってもとてもその一時ではまともな考えに辿り着くに至らない。自身の欲望に関係なく不出来な階段を下り続けないと捕まってしまうからだ。階段を上がっても下っても待ってるのは死であることに変わりなど無い。
髪も髭も白髪だらけになった老いた王が王冠を外して、月明かりだけが頼りの自室のベッドで情けなく病床に伏す姿を想像して無理矢理にどこかの他人を労ってやりたくなったりした。逃避術だ。自分を哀れめないなら他人を哀れめばいい。しかし風邪の最中の優れない想像故にあってはならないことを想像してしまった。そんなことはあってはならない。誰かを病気に、ましてや王様を病気にしてしまうなんてのは。


我が王は勇気を愛していて、勇気を欲している。そういう王だった。王は勇気の何たるかを常に知りたがっていたのだ。国中の賢者を集めては勇気についての勉強をしていた。触れるとどういう気持ちになるのか、何色をしていて、へたや皮が付いている物なのかなどを。また彼は戦争の度に敵共を一番に穿ち、これが勇気に当たるものなのかと戦いの最中で自問自答を繰り返しながらばったばったと人を切り、次いでは突き刺した。何より倦み進むその様は誰が見ても「迷い」でしかなく殺される方も自分が生きてた世界がより一層分からなくなって死んでいった。


ヤツは俯いた面を上げたと思ったら何やらとにかく険しい顔をもって俺を殺そうとした。ふざけた表情を持って産まれたガマガエルみたいな顔で。~アドレッサー英雄譚より~


身の回りの全てにたまに飽きると王は自分の背丈ほどの王座に正対して空の玉座に舌を出したりした。
そんなものは元より無いはずのスタートに戻される錯覚に陥った。壮大な始まりがまた彼を辟易させる。また始まってしまったのか、と。しかし事実は王は探すものそれしか知らないというところにあった。みんなそうだ勇気を探した。風邪をひいた私もそれは見過ごせない。王は勇気しか知らなかった。真に探すべきものは解らずに鈍い王政を敷いた。つまらない王のつまらない国。王の生きた間は天気もずっとつまらなかった。


本当の話はただの家賃だ。これは単純なトリックだ。つまり嘘に近い。王は絶対的な城の家賃を勇気を見つけることで何とか押し退けられないかと考えていただけだ。勇気とは家賃であると王は解っていた。


トリックも勇気もある。どうしても払えない家賃もある。