牛戦車

この牛戦車には夢がある!

フィールドワーカーの苦悩(ヤッチボーイ)

 

山岳部の後輩にすごい奴がいた。Yという私と同い年の男。

 

彼は学問、冒険、芸術、料理に並々ならぬ情熱を注いでいた。

いかにも全てをきっちりと整理していそうな顔立ちで、髪をペタリと後ろに固め、いつも重たそうなメガネをかけていた。

彼が山岳部に入部してきたのは一年生の後期からで、なぜ遅れたかというと入部希望のメールを私がずっと見落としていたからだった。

かなり申し訳ないことをした。

 

探検部と兼部し、常に冒険を求め、ヒマラヤや北極圏その他おそらくもっと色んなところに旅していた。

彼とは研究室が一緒で、私が休学したせいで卒業のタイミングも一緒だった。だから私が山岳部を辞めた後も色んな冒険の計画や土産話を聞かせてくれた。

4回生になると、彼は卒業研究のために1年間休学しフィールドワークのため西表島に渡った。

そこで猪猟師のもとに住み込みし、猟師の生活、あるいは現地住民の生活と動物の生態リズムの関係性というテーマで調査をしていた。

 

彼は自分の理想に果てしなく誠実だった。親しい友人曰く、彼は求道者のように常に理想とする姿と現状を比較し、葛藤していた。

 

西表島フィールドワークの最中、彼は、自分の視線が「他者」の視線にも、内側に生きる人間の視線にも、どちらにもなり得ないことに悩んだ。

フィールドワークとは、異なる場所や社会・文化に生きる人々に対し「他者」としての視線を投げかけることをやめ、偏見や固定観念から脱却することを目的とした活動である。

それゆえ、フィールドワーカーたちは現地の人々と同じ目線を獲得しなければならない、彼の場合は猟師が見るのと同じようにマングローブの様子を見なければならない。

しかし、現地の住民が長い月日をかけて育んできた目を、短期間では獲得できない。隔たりを感じざるを得ない。

そして彼はまた、「他者」としての視線も忘れてしまった。

論文にまとめ上げるには、人々の行動と獣の生態を記録し、分析し、論を組み立てなければならない。

一度現地に入ってしまった状態は、「他者」として温度を伴わない目で見ていた状態とは、わずかであれ完全に変わってしまう。

彼はそのような二つの反対な態度の間でさまよい、悩んだ。

フィールドワーカー論に詳しいわけでもない私は、そのような状態こそが「フィールドワーカーの視線」であり、避けられないものとして付き合っていくしかないのではないかと思ってしまう。

でもそんな簡単なことではないのだろう。ともかく、西表島で彼はかなり悩んだ。

 

 

葛藤を続け、さらに連日の猟の手伝いによる肉体的疲労が蓄積し、彼は予定していた調査期間を途中で切り上げ、京都に戻った。

春休みだった。もうひとり後輩を交えて、帰ってきたばかりの彼と飲みに行った。

その時に上の話を聞いたのだ。彼は話しながら、まだずっと悩んでいた。私たちが何か言っても半ば上の空といった感じだった。

彼は飲み会の最中なぜかほとんど正座していたので、横に座っていた彼の顔は少し高い位置にあった。

老練な猟師の使い込まれた褐色の肌や、猪の鮮やかな腑や、マングローブ林を流れる亜熱帯のパワフルな川の流れを見た、彼の目、その目はぐつぐつと煮立ったモツ鍋を見るともなく見ていた。

 

 

(彼は西表での経験も含め、研究論についての論考(あるいはエッセイ?)を出す計画をしていた。何らかの形でそれが世に出たら、ぜひこの牛戦車でも紹介させていただきたい。)