牛戦車

この牛戦車には夢がある!

ハンカチ(幸坂)

常夏は潮干狩り日和とはやや言い難いが、娘の願いなのでしぶしぶ付き合うことになった。やはり父親として潮干狩りの成果が芳しくないというのは、ゆくゆくどんな結果に繋がるかわかったものではないので事前にコツを掴んでおくことにした。一人でコツを掴むわけにもいかないので町内会の使いっ走りの山田、土尾、山下、内山に潮干狩りについての疑問を投げかけてみたところ、なんと内山に漁師の伝手があるというので、私は内山のその伝手に縋ってみることにした。なんでも内山の知人と瓜二つの男が漁師ということだった。

 その人を尋ねるため私は久々に県境を跨いだ。県境を跨いでる途中ではこの県も第二の故郷と呼称しようかと考え始め、数珠繋ぎにあの県やその県、いっそのことあの県も。と思案に思案を重ねていたりもした。県境も跨ぎ終わり私が予想していたよりも随分早くその漁師と会うことができた。鮪やそこらの魚ように真っ青なロードバイクにバランスよく跨っている彼は名を佐々木と言うらしい。この間、内山が育ち盛りのように元気よく教えてくれた。漢字については聞いていないが知り合いにはこの漢字の人しかいないので佐々木でいいだろうと思う。漁師本人はサカキと言っているようにも聞こえるが漁師訛りなのだろう。佐々木はよく日に焼けていて漁師そのものという見た目だった。実は漁師の中ではそんなに焼けている方でもなかったのかもしれないが、私は「日焼けなされてるんですね。なんか近々日焼けブームが来るとか来ないとか、なんて」と情けなくも軽率な発言を口から溢し落としてしまった。佐々木は苦い顔をしたと思えば陽炎のようにゆらゆらと微笑み顔に変わっていき「海はここから三時間は掛かる。」と言ったと同時に私の車の助手席に乗り込んだ。私は佐々木が車に乗り込んだと同時に「え、そこ私の車の助手席なんですけどどうも。」と口早に声を張り上げてしまった。私が声を張り上げてしまったと同時に佐々木は「今日はコツを掴んでもらうために早起きしたんだから寝ぼけ眼も眠々しい。」と穏便且つどっしりと言うので、私は肩を掻きながらそそくさと運転席に滑り乗った。 

 海までの道中は決して険しいと言う程でもなかったが車に酔うには十分のようで、路肩には車を停めて苦しみに悶絶している人々が我先にと口を拭っていた。そんな光景が風景になり始めてきた頃、私と佐々木は仲良しとなった。佐々木は年齢不詳だ、いくら訊いても教えてくれない。私の投げかけに器用に器用に躱していく。私から見ても佐々木は年齢不詳だ。大雑把にも四十代後半から五十代前半というくらいしかわからない。佐々木本人も自身の年齢の細かいところは不詳なのだろう。山を形作る木や岩、草や橋、ガードレールや花々の隙間からようやく海がチラチラ、チラッチラッと見えるようになった。海が見えてきて私も佐々木も大いに盛り上がった。車を動かして一時間も経つのだ、そろそろ海が見えてこなければやってられなかったかもしれない。隙間の海がもう少し遅れていたならば引き返すという選択肢が瞬時に飛び掛かってくることもありうる。私と佐々木と海の三竦みは無意識下でそんな駆け引きをしていたようにも思えた。気にしないように努めていたが佐々木は自分のことをサカキと言っているようにどうしても聞こえてしまう。苦渋の決断ではあるが私は佐々木とサカキを織り交ぜて呼ぶことにした。海が頻繁に顔を出すようになってから私と佐々木はトイレ休憩をとった。

 綱渡りの末、海に着いたはいいが私と佐々木は車から出ることができずにいた。私と佐々木をかろうじて繋ぐこの橋には、あと少しで十八時になる長針や、シャワーから垂れ損ねそうな最後の一滴、迫りくる雪崩に乱されるであろう雪原の緊張感に似たものが行き交っていて、私と佐々木はそれを互いに押し付け任せているようだった。いつこの大層な橋が架かったのか、憶測の域は出ないがついさっきの事なんだとは感じ取れている。佐々木は先程「俺は勘がいいんだ。」と左手をくねくねさせながら言っていたので、少なくとも私が気づきかけている最中には気づき切ったのだ。ドアに両手を添えて俯く私とは対照的に佐々木は、ドアに両手を添えながらも小気味よいリズムで首を傾げていた。そんな私達、私と佐々木に一瞥もくれずさも「僕、私とは無関係だ。」と心の中で睨みを利かすようにして複数の家族連れが通り過ぎていく。西日を当てられた海は夕陽色だった。数色のビーチボールが車の傍まで転がってきた。仕方がないことだが私と佐々木にはどうすることもできない。私は、後部座席に居座り直した佐々木から、春は好きかと聞き出している。山で例えると疲れてきた頃だろうか、佐々木は「春好き。」と答えたが私はそれは嘘だとわかっている。「春好き。」と答える前に佐々木はくしゃみをしたのだ。くしゃみをするなんてそんなの嘘に決まっている。それからしばらく春が好きかと聞き出し続けていたが一向に先に進まないのでせっかくの機会だったが泣き寝入りして狸寝入りすることにした。そんななか佐々木が不意をついて「せーの。」と誘い水をこちらに流してきた。私は考えも纏まらないまま咄嗟に「せっかくだからなんかしよ。」と軽快にクラクションを鳴らしていた。そうと決まれば私達の行動は早い。私と佐々木は車から弾け出て、我武者羅に走り出す。帰り支度のためかトウモロコシをかき氷に突っ込む子供達の輪を切り裂き、大人八百円というラムネの椅子看板を次から次へと押し退かし、飛び交う浮き輪や地を這う辞典もなんのその。亀もいなけりゃ善意もあらず、坊主は寺にて酔いどれ踊る。柿食え桃食え臍の緒切れる、諂い硝子に子守唄。勢いそのまま私諸共佐々木が、夏休みの繁忙期で硬くなったこの砂浜に転がった。似てない双子のようなリズムで並んで息をしていた。